日々のこと

批判や攻撃に感謝すると・・・

こんにちは照れ

人から指摘されたり、批判されたりすると、

嫌な気持ちになったり、言い訳をしたくなったりしますよねえーん

 

それが理不尽なものであったり、相手の誤解だったりすると

なおさらショボーン

 

私も先日そういうことがあり、

嫌な気持ちになることはなかったものの、

 

あの人はいつもあまりよく考えないで言って来るんだよなあDASH!

 

と少し考えてしまいましたダウン

 

そうすると、次から次に自分を正当化するような考えが浮かんだり、

相手をジャッジするような思考になってしまい・・・

 

結果としてなんとなくモヤモヤしてきましたダウン

 

そこで発想の転換!

 

言ってくれてることに感謝してみようラブ

 

と思ったんですね。

そしたら、相手のネガティブな気持ちを受け取ることもなく、

こちら側がネガティブになることもなく、ましてや相手を

ジャッジすることもなく、本当に穏やかな気持ちになれました〜照れ

 

もちろん、どんなにひどい場合でも感謝するのか?というのは

難しいところですが、ケースバイケースでちょっとお試しくださいニコニコ

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もしくは

 

他人の言葉に傷つくのはなぜ?

日々、家庭や仕事、友人などとの付き合いの中で、

相手の言葉に傷ついたり、イライラしたり、むかっとしたりムキー

すること、ありますよね〜ショボーン

そんな時、もちろん、タッピングなどで

その気持ちを解放して行ったり、多くの場合、我慢して溜め込んだり・・

するのではないでしょうか。

 

でも、なぜそんな気持ちが起こるのか・・というと、

自分がそう思っているから!

なのですびっくり

例えば、散らかった部屋を見て、ご主人に

散らかってるぞ〜!

と言われたら、誰しも、

言われなくてもわかってる!

私だって疲れてるし忙しいのよ!

それに気がついたら自分が片付ければいいじゃない!

と思いますよね?

そこです!

言われなくても自分がわかっていることを言われるから

頭にくるんですえーん

 

そして、なぜそこに反応するかというと、

片付けていない自分が嫌だから。

自分で自分を認めていないから。

なんで私はこんなにできないんだろう・・・

片付けができない私はダメだ・・・

いつもこうだ・・ショボーン

と思っているから、相手のほんの一言に激怒したり、激しく落ち込んだり・・

まさに炎上!ですねメラメラ

 

そしてそう自分を責めてしまう原因は、幼少期に、

親や先生、友人など自分以外の人たちから認めてもらなかったこと。

そうではなくても、空気を読むというか、例えば親が不機嫌にしているのも

自分のせいだと思うようになるくせがあることが多いので、

そもそも自分はダメだと何十年も思い込んでいるんですよね。

スピリチュアルでいうインプラントでしょうか目

なので、相手の言葉に振り回されない一番のカギは、

自分で自分を責めないこと!

そして、振り回した相手から見た時のお話は次回に照れ

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愛する人を亡くすとき

去年は、著名な方がたくさん亡くなりました 😥

それは本当に悲しいのですが、

肉親や大事な人をなくすというのは、次元が違う気がします。

私は17年前と11年前に大事な人を亡くしました。

それぞれ20代、30代の若さで、しかも事故で即死だったので、

衝撃は計り知れなかったです・・

最初に亡くした時は、肉親がなくなるというのはこんなことなんだという

衝撃。地に足が付いてなくて、当時住んでいたマンションのベランダから

落ちてもおかしくない・・と思っていました。

それに、そのニュースを聞いたのはちょうど、10ヶ月の長女に

朝食を食べさせているところで、ほとんど食べない娘を叱りながら

四苦八苦しているとき。

その電話を受け取った後は、もう子供が食べる食べないはどうでも

いいことになり、泣きながら食べた朝食は、本当に「砂を噛む」ように

砂の味がしました。

 

もう会えない。もう話ができないと思うだけで、胸が苦しくなる。

そんな時に貪るように死についての本を読んでいました。

特にキューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」それからホイットン博士の「輪廻転生」

それで、

過去世で一緒にいたし、未来世でも会える

と思えるようになり、なんとか心が落ち着いていきました。

それから6年後、ちょうど彼の7回忌が終わってから、

また大事な人が、同じように事故で即死・・・

今回は砂を噛むことはなかったのですが、

なんで死んだのか?

私があの時電話していれば・・・・とか、

あの時~言っていれば運命は変わっていたのではないのか・・

という後悔がたくさんでてきました。

今回も事故で即死だったので、どうすれば防げたのだろうかという思いが

たくさんあったのですが、ご病気でなくなられた方であっても、

どうやったらよかったのか。あの選択した治療法は間違っていたのではないか。

という後悔が出てくるのだと思います。

そして、このときもいろんな本をむさぼるように読みました。

そのときに救われたのが、ある本にあった

生きるべき人は奇跡的に助かるし、

死ぬべき人は不幸な偶然が重なって死ぬ

という言葉。

そうなんだ。私たちがどうやっても、死ぬべき人は死ぬ運命だったんだ。

と受け入れられるようになりました。

良寛和尚のお言葉にも

死ぬる時節には死ぬがよく候

というのがあります。

二人の死をそうやって受け入れられるようになったとき、

次に逢えるときまでの時間を自分なりに楽しんでいこうと

だんだんと思えるようになりました。

 

家族でも、友人でも、そして自分自身でも、人がいつどこで

この世を終えるかはわかりません。

二人が死ぬ前は、次にあったらとか、来年は・・・などと思っていました。

だからこそ、いま、この瞬間を自分の心に従うことを大事にしていきたいと

思っています。