
去年は、著名な方がたくさん亡くなりました 😥
それは本当に悲しいのですが、
肉親や大事な人をなくすというのは、次元が違う気がします。
私は17年前と11年前に大事な人を亡くしました。
それぞれ20代、30代の若さで、しかも事故で即死だったので、
衝撃は計り知れなかったです・・
最初に亡くした時は、肉親がなくなるというのはこんなことなんだという
衝撃。地に足が付いてなくて、当時住んでいたマンションのベランダから
落ちてもおかしくない・・と思っていました。
それに、そのニュースを聞いたのはちょうど、10ヶ月の長女に
朝食を食べさせているところで、ほとんど食べない娘を叱りながら
四苦八苦しているとき。
その電話を受け取った後は、もう子供が食べる食べないはどうでも
いいことになり、泣きながら食べた朝食は、本当に「砂を噛む」ように
砂の味がしました。
もう会えない。もう話ができないと思うだけで、胸が苦しくなる。
そんな時に貪るように死についての本を読んでいました。
特にキューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」それからホイットン博士の「輪廻転生」
それで、
過去世で一緒にいたし、未来世でも会える
と思えるようになり、なんとか心が落ち着いていきました。
それから6年後、ちょうど彼の7回忌が終わってから、
また大事な人が、同じように事故で即死・・・
今回は砂を噛むことはなかったのですが、
なんで死んだのか?
私があの時電話していれば・・・・とか、
あの時~言っていれば運命は変わっていたのではないのか・・・
という後悔がたくさんでてきました。
今回も事故で即死だったので、どうすれば防げたのだろうかという思いが
たくさんあったのですが、ご病気でなくなられた方であっても、
どうやったらよかったのか。あの選択した治療法は間違っていたのではないか。
という後悔が出てくるのだと思います。
そして、このときもいろんな本をむさぼるように読みました。
そのときに救われたのが、ある本にあった
生きるべき人は奇跡的に助かるし、
死ぬべき人は不幸な偶然が重なって死ぬ。
という言葉。
そうなんだ。私たちがどうやっても、死ぬべき人は死ぬ運命だったんだ。
と受け入れられるようになりました。
良寛和尚のお言葉にも
死ぬる時節には死ぬがよく候
というのがあります。
二人の死をそうやって受け入れられるようになったとき、
次に逢えるときまでの時間を自分なりに楽しんでいこうと
だんだんと思えるようになりました。
家族でも、友人でも、そして自分自身でも、人がいつどこで
この世を終えるかはわかりません。
二人が死ぬ前は、次にあったらとか、来年は・・・などと思っていました。
だからこそ、いま、この瞬間を自分の心に従うことを大事にしていきたいと
思っています。